私は、本当に話ができない学生でした

できないことが多すぎた学生時代からアナウンサーを経てボイストレーナーになり、「意識」を変えることで一気に声が変わるオリジナルのボイストレーニング法「スピリットボイス」を考案するまでの過程です。

長いのですが、あなたのお悩みとどこかで触れ合うかもしれません。

そんな思いで書いてみました。

 

話下手の日常は辛い

私は、小・中・高校生時代、とんでもない話下手でした。

友人と普通に会話することすら大変でした。

と、言いますと、皆さん、「ウソでしょ~?」とおっしゃいます。

思った通りに言葉が口から出てこないのです。

言いたくても言えない。

頭で思いついたイメージをどう言えばいいのかわからなくなるのです。

 

目立つことの全くない学生時代の私だったのですが、文化祭で活躍している友人たちを見ると、私もあんなふうに楽しく自分を表現できたらなあと、うらやましく思いました。

あんなふうになりたい、という熱い思いはあるのですが、私は、どうがんばっても人に言葉をうまく伝えられませんでした。

「ああ、また思うように言えなかった」と、うまく話せない経験のたびに、心が晴れないままイヤ~な気分におちいる毎日。

思いはいっぱいあるのに、言葉にできない。

 

人に何かを伝えなければならないとなると、頭の中がとんでもなく厄介なことになります。

初めの音がちゃんと出るだろうか、間違えないだろうか、聞いてもらえるだろうかなど、ネガティブな思いが次々と頭をよぎっていきます。

話す前にネガティブなイメージが、いっぱい湧き上がってくるのです。

そして、言葉が途中でひっかかってしまうことはほぼ予想できるので、最後まで話す勇気がありません。

よし、話そう!と決めても、言い終わるまでの時間、人の目がこちらに向いていることに、いたたまれなくなります。

私のつたない話で相手の時間を使ってしまってもいいんだろうか、と、またネガティブな気分に襲われます。

 

でも時々は、「とにかく言葉を返してみよう」と、チャレンジしてみます。

まず、頭の中で、今の会話に合った返答を考えます。

たとえば単純に「私もそう思う」などです。

言葉を頭の中で一度文字に置き換え、その瞬間心の中で練習してみます。

言える!と思って言おうと思ったら、もうその話は終わっていた、ということもよくありました。

ああ、また言えなかった、どうせ言えないなら黙っていようと、話すことをあきらめてしまうのがいつもの私でした。

話すことをあきらめるということは、自分を表現することをあきらめることと同じです。

 

ネガティブな第一印象に益なし

私が短大生だったころ、こんな経験がありました。

友人6人ぐらいで、笑福亭鶴瓶さんの公開録画の番組に参加したのです。

番組が始まる前にアンケートが配られます。

このアンケートにおもしろいことを書くと、番組の中で名前を呼ばれ、鶴瓶さんと会話ができるのです。

何を書いたのかは忘れたのですが、提出してしばらくするとスタッフの方が、「池本さーん、池本さーん、いらっしゃいますかぁ」と私を呼ぶのです。

「あっ、はい・・・」とおそるおそる手を上げ小さな声で返事をすると、「あっ、(ここでスタッフの方の顔が曇る)ありがとうございます、いいです・・・」と言って、違う方の名前を呼び直しました。

私のアンケートは、たぶんおもしろかったはず。

しかし、私を見て私の声を聞いて、スタッフの方の期待は、きっと失せてしまったのです。

この子じゃダメだなって。

 

「あ~あ」。
私は、いつものように自分にがっかりしました。

やっぱりだめだなあ、私は。

アンケートはおもしろかったんだなあ、それだけでもいいか。

でも、スタッフの方、一瞬見た印象だけで判断するなんて失礼な気がするなあ。

しかし、番組を作る側として考えれば、選んだお客さんに会場を盛り上げる勢いの良さがないと番組が成り立たちません。

瞬時にその人のパワーを見抜くスタッフさんもすごかったんだと、今なら思えます。

あの時の私が、今ぐらい大きな声だったら、番組内で名前を呼ばれていたかもしれません。

同じ人間なのに、声が大きいかどうか、パワフルな人間かどうかで、人生が変わっていくということをしみじみ感じた1日でした。

 

チャレンジすれども実らない

小学校の時から文章を声に出して読むことは好きだったので(自分の言葉で表現はできないけれど、文章は読めた)、高校時代は「声優さんになりたいなあ」とぼんやり憧れていました。

でも、その時はどうすればなれるのか見当もつきませんでした。

高校3年生になって進路を決める時期になりました。

友人が保育科に進むと聞き、そういえば幼稚園の先生は、歌って踊って絵を描いて楽しそうだなと思い、私も保育の学校に進むことにしました。

実際、幼稚園教諭になってみると楽しくて、これは天職だと思い働いていました。

 

2年目のある日、新聞の募集欄に、「あなたもアナウンサーになりませんか?」という文字を見つけました。

アナウンサースクールの広告でした。

「ここに行けば声優さんになれるのかも」と、体の中に電流が走ったかのように感じました。

自分がなれるかなれないかは頭になく、以前探せなかった声優への道がわかったことでワクワクしました。

それ以上に、今の自分を変えたいとどこかで願っていた気持ちに、この広告が響いたのです。

幼稚園教諭になっても、相変わらず人と話すのが苦手でした。

仕事で接するのは子どもたちばかりでしたから、このままいくと外部の世界と遮断され、小さな世界に引きこもってしまいそうな、いや~な予感がしていました。

その打開策としてもアナウンサースクールに通ってみることは、自分を変えるきっかけにもなると思いました。

引っ込み思案の私も、この時ばかりは、即、決断していました。

 

それから、幼稚園に勤めながら、毎週水曜日の夜、大阪にあるアナウンサースクールに通い始めました。

初めは、アナウンサーになろうなんて考えてもいなかったのですが、同じクラスの50人全員がアナウンサーを目指しているので、私もいつしかなんとなく、その気になり始めていました。

家族や周りの人からは、「一体何を考えているんだ。テレビに出るなんてお前にできるわけがない。あんな仕事ができるのは、ほんの一握りの人なんだ!」と言われました。

「そんなことわかってる!」と思いながらも、スクールに通い始めた翌年の3月末で幼稚園教諭を辞め、アナウンスの勉強をしながら、テレビ番組のオーディションを受けるようになりました。

とはいっても、話下手の私がそう簡単に受かるわけがありません。

 

でも、私は、なぜかあきらめませんでした。

十数回目かのチャレンジは、忘れもしません、大阪にあるテレビ局の朝のワイドショー番組のアシスタントのオーディションでした。

なんと、この私が最後の二人までに残ったのです。

最終審査は、スタジオで包丁片手にキュウリの輪切りに挑戦というもの。

料理が割と得意な私はトントントンと切って、勢い余って、ついでに指も切りました。

「絆創膏~」とスタジオが騒ぎになり、そして、私はやっぱり落ちました。

やっぱり私は落ちるのです。

いつまでたっても自分を表現する方法がわからないのですから。

自分が何を伝えたいのかわからない。

思いだけが形にならず宙に浮いているような感じ。

この不安定な気分が、いつもつきまとっていました。

 

自分のない会話

学生時代は、心の中の思いやイメージを言葉に変換することすらできませんでしたが、アナウンサーの勉強を始めてからは、日常の会話で、頭の中に言いたい言葉がいっぱい出てくるようになってきました。

ちょっと進歩です。

その多くの言いたい言葉の中から「言えそうにない言葉」を削除し、話をしていました。

どうしても言えない音があるのです。

私の頭の中に浮かんだ数々の言葉は実際に伝えることはなく、言える言葉を選んで話すと、説明不足のまま結論になって話が終わってしまったりします。

すると、「池本さんの言葉は、宇宙人みたい」と、友人から言われました。

これでは、相手に話の内容をわかってもらえる訳がありません。

いえ、実はそれ以前の問題で、私は話の内容を相手にわかってもらおうなんて思っていませんでした。

なんとかこの場を成立させ、やり過ごせる会話をしたいと思っていただけなのでした。

自分の考えなんてたいしたことはない、人に聞いてもらうほどのものではないと思っていましたので、ちょっと会話らしいことをして、この場をしのぐことで自分としては十分だったのです。

なので、じっくり人と話すということありませんでした。

自分の気持を伝える、聞いてもらうということに、取り組んだことはありませんでした。

人と会話をしている間、「言えないかも」「早く言わなきゃ」「なんとかがんばらなきゃ」という、ネガティブな感覚ばかりが頭をよぎっていたのです。

 

やる気だけでチャンスを捕まえることもできる!

幼稚園教諭をやめて2年目の24歳の時、突然私に幸運が舞い込んで来たのです。

それまで落ちまくっていたテレビ番組のオーディションに、なぜか同じ時期に2つも受かったのです。

一つは、神戸市の30分の情報番組のアシスタント兼リポーター。

もう一つは、京都府の30分の高齢者向け番組のメイン司会兼リポーターでした。

なぜこんな私が合格したのか・・・。

と、考えると不思議なのですが、オーディションの合格基準は、番組によって様々で、上手い下手で選ぶとは限らないようです。

 

神戸市の情報番組のオーディションは、最終二人に絞られました。

最終に残ったもうお一人の方は、すでに有名な全国区の朝の番組のリポーターをしていらっしゃいました。

とってもきれいでハキハキした同い年の女性です。

最後のスタジオでのオーディションは、「自分の住んでいる街」をリポートをするというものでした。

彼女は、明るく素敵で非の打ちどころがありませんでした。

その姿に私は、「すごい!」と心を奪われてしまいました。

「さすがはプロのアナウンサーさん!」。

本当に、お上手だったんです。

いよいよ、私の番が回って来ました。

異常な緊張の上に、サ行が苦手なのでかみまくり、言葉を音にするのがやっとでした。

誰が見ても、下手。

「こりゃあかんわ」と自分でも思いました。

 

そんな私がなぜか受かったのです。

理由を後で伺いますと、一つが「人の話をきちんとよく聞いていたから」でした。

うまかったからではないのは明らかなのですが、「そんな理由なんですか?」と、びっくりしてしまいました。

「人の話をよく聞く」は、どの業界にも通じる面接の受かるポイントの一つだと後で知りました。

受かった理由のもう一つは、「一から局で育てたい」と思ってくださったからでした。

なるほど。

それならわかります。

本当にありがたいことです。

京都のテレビ局のオーディションに受かった理由は、「高齢者向けの番組なので、孫のようなイメージの人がよかった」ということでした。

こちらも、「上手さ」を求めていらっしゃらなかったのでした。

再び、なるほど、と思いました。

私が、どうしていいかよくわからず、ぽ~っとしていたのが良かったようです。

 

できない自分を再確認

こんなふうに24歳の春、突然、素人がアナウンサーになりました。

アナウンサーになったとたん、うまく話せるわけはないのですが、何の練習もなく早速リポートに行くことになりました。

マイクのどこを持てばいいのかもわからない自分に、自分自身であきれながら、京都のご高齢の方たちが集まっているあるサークルにお邪魔しました。

畳敷きの大きな部屋に楽しく集っていらっしゃる皆さんに向かって、「こんにちは~」と呼びかけ、リポート開始!

なのですが、「こ、こ、こんにちは・・・」と、どぎまぎ部屋に入ってしまったので、だれも振り向いてくれません。

すぐに、ディレクターさんに、「一声で、みんなの気持ちをこっちに向かせなきゃ!」と、アドバイスをいただいたのですが、みんなの気持ちをこちらに向けるって、どうすればいいのか全くわかりません。

やったことがないのです。

 

とはいえ、私の後ろにはカメラさんもいるし、皆さん私が来るのをわかって待っていてくださっているので、もうちょっと大きな声を出したら振り向いてくれるはず、と思い、一呼吸入れて踏ん張って、「こんにちはー!」と呼びかけました。

すると、皆さんが笑顔で一斉にパッと振り向いてくださいました。

ひゃー、みんながこっちを向いてくれた・・・。

私のたった一声で、大勢の大人がこちらを笑顔で向いてくれるなんて、普段の生活ではありえないことです。

私の人生の中で、初めてのことでした。

幼稚園の先生時代に子どもとでしたらよくあることなのですが、大人の方に注目されることに慣れていない私にとって、この瞬間、「えっ、次、どうしよう・・・」と、瞬間に恐怖を感じてしまったのです。

呼びかけてはみたものの、この視線の圧力をどうすればいいのか見当もつかないまま、台本に書いてあったことを思い出し、「てててて」としゃべって、何とかこの場面を終了させました。

後は、ただ必死に台本通りやっていくのみでした。

 

テレビのリポーターの役目は、皆さんの気持ちを瞬時にこちらに向け、一気にムードを盛り上げ、皆さんのとてもいい顔と、その方らしいリラックスした言葉を伺っていくことです。

リポーターは、その場のムードメーカーにならなくてはいけません。

明るくテンション高めで人間味にあふれ、誰もが声を掛けやすい人柄が必要なのでした。

そんな雰囲気が大幅に不足している私にとっては、つらい初リポートでした。

 

がんばった作り笑顔はしらじらしい

京都の番組と平行して神戸のテレビ局では、週1回30分番組のスタジオでの収録が始まりました。

テレビ局のスタジオは、映っているところはものすごく明るいのですが、カメラさんの後ろは薄暗がりなのです。

その中を人が右左と番組の進行と関係なく歩いています。

こっちは、冷や汗をかきながら緊張の限界に達しているのに、カメラさんの後ろは、全く違う世界なのです。

それが全部視界に入ってくるのです。

みんなも一緒に緊張してよ!と思うのですが、異常に緊張しているのは、新人の私一人だけ。

目の前にカメラが寄ってきました。

そのカメラを見ながら、必死に覚えた次のコーナーの紹介を、全身カチコチに固まった状態で話していました。

この非日常の30分間。

アシスタントを始めて3ヶ月間は、針のむしろに座らされている気分でした。

 

初めてのテレビ番組で何もわからない上に、幼稚園の先生時代は大人と話す機会も少なく人生経験があまりにも浅かったので、自分の中身に全く自信がありませんでした。

その時の私にできることと言えば、精一杯「にこっと笑うこと」だけだったのです。

「笑顔」=「印象がよい」と信じていたので、とにかく毎回にっこりと笑っておりました。

半年ほど経ったある日のこと、視聴者の方から届いた番組のプレゼントへの応募ハガキに、こんな感想が書き添えてありました。

「アシスタントの笑顔がしらじらしい」。

ガ~ン!

私のにっこり笑顔は、しらじらしく映し出されていたのでした。

そういえば、その頃の私のあだ名は、「スイカ口」。

笑顔を装った半月状の口の形を、普段もずっと維持していたのです。

ハガキを見た瞬間、「笑顔」だけが唯一の表現方法だった私は、これからどうしていいやら訳がわからなくなりました。

「笑顔」以外に自分にできることが何もなかったのです。

スタジオの中に存在していることだけで精一杯だった私は、人がどう見ているかなんて考える余裕がありませんでした。

私は途方に暮れました。

 

考え過ぎると何が自分なのかわからなくなる

「笑顔」の次に考えた私の表現方法の目標は、「ディレクターやプロデューサー、視聴者の皆さんが良いと思う私になろう!」でした。

仕事中、「この場面では、私はどうすることを求められているのだろうか・・・、どうすれば応えられるのだろうか・・・」と、考えて動くようにしました。

つまり、どうすればいい点がもらえるのだろうか、ということに集中していったのです。

その頃の私は、いつも誰かに評価されているような気分でした。

良い、悪いの決定権は、私じゃなくて、見る人にある、と。

すると、だんだん人間がうつろになっていくのです。

私という人間は、これでいいのか悪いのか、さらにわからなくなっていきました。

 

それから2年ほど経ち、アナウンサーの仕事の要領をつかんできた頃に、あるビデオ制作会社のディレクターから、環境対策のビデオに出演して欲しいとオファーをいただきました。

撮り終えた後で聞いたのですが、「あなたがデビューした頃の写真を見て、この子と仕事がしたいなあと思っていたんですよ。ちょっとやそっとでは言うことを聞かない生意気そうな子、おもしろそうだなあと思っていたんです。だけど、実際会うと印象が違っていたなあ。ちょっとがっかりです」。

たぶん、デビューしたての頃の私の外見は、うれしくてやる気満々で生意気そうだったのでしょう。

でも、仕事を始めて数年たったその頃は、テレビ局のディレクターからいい点をもらうことに専念していたため、いい子を演じる私、つまり個性のない私になってしまっていたのです。

生意気で自己主張のある子を期待していた制作会社のディレクターから見れば、おもしろみのない子になっていたのです。

またまた、自分にがっかりしてしまいました。

 

ここでようやくわかってきました。

ディレクターも視聴者の方もいいなと思う人は、いい子ぶって小さくまとまった人じゃない。

いい点を取ろうとしている人じゃない。

自分そのままを表現している人なのだと。

私の頭の中でいくら考えたところで、相手の求めているものがなんなのかはわからない。

他人の頭の中を予測していい点をもらうことなんて無理で、意味のないことなのでした。

 

一生懸命がんばると、さらに自分がなくなっていく

その頃の私は、人に好かれる存在でいたいという思いが、人一倍ありました。

自分には、価値もなく、そして自信もないけれど、でも、誰かに喜んでもらえる仕事がしたかったのです。

だから、がんばっていました。

「がんばること」が、「いい点を取ること」の次の目標になっていたのです。

「がんばる」ためにはどうすればいいのかを考えました。

そこで、リポーターの実践で学んだ「テンションを上げること」で、皆さんを楽しませることに意識を向けるようになりました。

テンションを上げていくと、感情を大きく表したくなります。

幼稚園勤務の頃に身についた身振り手振りも、さらにパワーアップです。

 

がんばることが毎日の目標なので、がんばらないと人に思いが伝わらない、がんばらないと手を抜いているようで申し訳ない、という錯覚にとらわれていきました。

がんばり続けるために、毎日追い立てられているような、せかされているような、そんな気分になりました。

いつも気分が焦っていました。

体には力が入り、どんどん早口になっていきます。

がんばった分、体はヘトヘトでした。

でもがんばらないといけない。

すると、微妙に空回りするんです。

テレビ番組のオンエアーを見ても、何をしゃべっているのかわからない時があったり、やたら体が動いていたり。

しかし、私には、がんばる以外の方法がわからない。

とにかく、一生懸命がんばっていました。

自分の気持ちなんて構っている余裕はありません。

いつも自分の気持ちではない「やらなくてはいけない」ものに、追い立てられていました。

「ねばならない」状態です。

がんばり続けて自分の気持ちがおいてきぼりになっていくことすら、かまうことはありませんでした。

 

やらねばならぬは、周りを見えなくする

テレビの仕事の他に、イベントなどの司会の仕事も増えてきました。

まず第一声、「こんにちは~!」の大きな声で、お客様を振り向かせ、こちらに引きこんで盛り上げます。

アナウンサーを始めた頃にはできなかった「こんにちは~」が、数年経って私にもできるようになっていました。

何事も慣れですね。

回数を重ねれば、できるようになるものです。

声で場を盛り上げた上に、「やらねばならぬ」というエネルギーをさらに乗せて、ぐいぐいイベントを進めていっていました。

自分の強引な力で物事を動かすのは体力を使い大変なのですが、意外と私、パワーがあったので動かすことができていました。

この頃の私は、がんばっている!という達成感がありました。

このがんばりが私であり、人が私をどう見ているのかと、不安になる気持ちはだいぶ薄らいでいました。

自分を出していくことに力を注いだことで、余計な不安が入ってこなくなったのです。

 

その結果、自分も周りも、見えなくなっていきました。

周りの人がどう感じているかがわからないほど力が入り、視野が狭くなっていたのです。

自分が疲れる力の入った声は、聞いている人を疲れさせていました。

こういうのを本末転倒というのでしょうか。

フェスティバルのような盛り上がるイベントは、この勢いでよかったのですが、おごそかな式典となると大きく元気な声が場の雰囲気に合わず、その上、偉い方が前列に座っていらっしゃるので、緊張が増し、気の焦りで早口になり、おどおどとした司会者になってしまっていました。

 

決定的な問題は、滑舌が悪いこと

ちょうどバブルの頃だったので、下手な私でも、仕事は増えていきました。

仕事への取り組み方は、これまで書いたように変化してきたのですが、話すことが下手という現実は、どうしようもないものでした。

 

私は滑舌がよくありません。

今でも、疲れると口が回らなくなります。

アナウンサースクール時代から、滑舌を良くするのに、かなりの時間を費やしました。

特にサ行が発音できませんでした。

サ行に加えて、ザ行とダ行の区別もできませんでした。

アナウンサースクールでも、「池本さん、サ行が弱いですね」と先生に何度も指摘をいただきました。

じゃあどうやって直すの?と思ったのですが、直してくれる先生はどなたもいらっしゃいませんでした。

 

スクールを卒業して、プロダクションに入り、プロダクション内でもレッスンがあったのですが、私はニュース原稿をまともに読むことができませんでした。

「昨日午前、・・・」という出だしで、もうダメなのです。

私は、「ごぜん」が「ごでん」になるのです。

どうしても直らない私に、先生は、「池本、おまえはアナウンサー無理や」とおっしゃいました。

その言葉を聞いて「先生そんな~、なんとか助けてください」と思うより、「ほんま、私はあかんわ」と思っていました。

アナウンサーになってからも、私は、全くうまくできませんでした。

仕事場でよく使う「おはようございます」も、私は言えませんでした。

神戸のテレビ局に向かう途中、歩きながらずっと「おはようございます」を練習していました。

「おはようごらます」になるのです。

「ざ」が言えなくて、「ざ」のあたりで力が抜けて、息の勢いで音が消えるのです。

サ行ザ行は飛ばして読むというごまかしグセがついてしまっていて、何度練習しても、どうしても言えないのです。

 

できない私は、家でずっと練習していました。

話すことが仕事なので必死です。

少しでも時間があると、雑誌の文章を声に出して読んでいました。

まず初めはゆっくり読む、次に少し早く読む、そして普通に読むを、繰り返し練習し、それを録音して、消えた音やはっきり言えない音を、何度も練習していました。

食い入るように字を見つめ、戦いを挑むように読んでいました。

そんな体勢で取り組むと、何度めかに、なんとか全ての音をきっちり読むことができました。

ものすごく集中力が必要でした。

しかし、目を文字から少し離し、挑むように読む体勢を緩めると、自分の軸がなくなり、いつもの気の焦りが現れ、はっきり読めなくなります。

よほど集中しなくては、ちゃんと読むことができないのです。

気を抜いてしまうと、途端にうまくできなくなるのです。

 

その後、練習を積んで、なんとか文章が読めるようになってきました。

それでも足りないと思い、毎日毎日、家で練習ばかりしていました。

5センチほどの厚さのアクセント辞典も、声に出して読破しました。

それでも、まだまだだと思って、もう1回最初から読み直しました。

できない私には遊んでいる暇はなく、テレビの2時間の映画を観ることもできず、ビデオを借りるなんてやったことがありませんでした。

カラオケも流行っていましたが、歌も何一つ知らないままでした。

一人で出かける時間も作れません。

全て、できない自分に対する自分で作った縛りでした。

練習しないと、すぐにできない自分に戻りそうだったからです。

 

できないというネガティブに襲われ続ける

ナレーションの録音の仕事もだんだんと増えてきました。

ナレーションは、慣れるまではとても怖い現場です。

録音スタジオの厚い扉を開けてすぐの機械だらけの大きな部屋には、スポンサーの方を始め、男の方々がソファに数人座っていらっしゃいます。

挨拶をして打ち合わせをして、奥の小さな箱のようなブースに入って、ヘッドホンを付けて、ランプの点灯の合図に従って原稿を読んでいきます。

慣れない頃、この雰囲気だけで、私にとってはものすごいプレッシャーでした。

たくさんの人に審査されているようで、とても恐ろしい気分です。

下手な上にサ行とザ行が言えないというコンプレックスもぬぐえないまま、私なりに精一杯の努力をします。

原稿を下読みした時、ここは危ないと思うサ行ザ行の言葉は丸で囲んで、大きくひらがなでルビを振って、注意してゆっくりきっちり読めるようにします。

 

さて、録音本番、ランプの点灯で読み始めます。

だんだんサ行の丸が近づいてくると、心臓がドキドキし始めます。

「乗り越えられるか」「大丈夫か」「無事過ぎ去って」と、祈っています。

サ行の丸が目の前に迫ると、もう勢いしかありません。

ダッと読む。

おお、何とか越せた・・・。

一気に安堵します。

後で、ディレクターに、「池本、このサ行のちょっと前から緊張してたやろ~」と言われます。

私の緊張具合まで、すべて「声」の調子で見抜かれていました。

口がうまく回らず、録音中「しまった」と思った時は、ナレーション原稿を読みながら、「あかんよな、今の、あかんよな」と、ずっと自分の中で反省会を開いています。

録音後、聞いてみると案外その言葉はなんとか読めていて、ほっとします。

でも、そのナレーションは途中から反省会を開いているため、少々元気がなかったかもしれません。

こんな綱渡りのような調子で、なんとか仕事をしていましたが、やっぱり私は下手でした。

まだこの頃は気がついていませんが、私の下手の原因は、技術以上に、私を襲う「ネガティブな気持ち」だったのです。

 

いい声のコツ、言葉に粘りをつけてゆっくり伝える

何年か仕事を続けていくうちに、経験からいい声のコツをつかむことができるようになりました。

そのいくつかをご紹介します。

 

デビューしてから3年後、神戸のテレビ局で、5分間の神戸市の情報番組を担当することになりました。

ニュース番組のようなカウンターテーブルがあり、座って原稿を読む仕事です。

この情報番組には、手話通訳がついていました。

私のすぐ横に手話通訳士さんが立っていらっしゃいました。

原稿を読むのが私の仕事なのですが、ニュースのように速く原稿を読んでは手話通訳が追いつかず、かといって手話通訳に合わせすぎると間延びして、私の力量では、聞いていて不自然になります。

ゆっくりだが自然に聞こえるように読むことは、私にとってはものすごく難しいことでした。

それまでは、下手なりにさらさらと間違えずに読むことを目標にしていたので、「ゆっくりわかりやすく読む」というやり方がわからなかったのです。

 

どうすればいいのか、自分なりに必死に研究しました。

そこでわかったのが、「粘りをつけて読む」ということでした。

文字と文字の間を「粘り」でつないでいくという読み方です。

さらさらと音が並んで進んでいくような軽い印象から、充実した音が「しっかり伝わる」という印象に変わります。

粘りをつけることで、音に深みが増したのです。

そして、なんと、言葉が丁寧に聞こえるのです。

特に強調したい箇所は、さらにゆっくり、そして粘りを加えました。

これを繰り返し練習して、さらに粘りがうまくなっていくと、驚いたことに、サ行ザ行で転ばなくなりました。

ゆっくりゆっくり、そして粘りをつけて話すことで、どの音もちゃんと言えるようになったのです。

 

ゆっくり話せるようになると、心の在り方も少しずつ変わっていきました。

焦ることが減ってきたのです。

自分の心のリズムまでもが、ゆっくりになってきたのです。

ゆっくり話すとあまりたくさんの言葉は言えません。

ゆっくりのリズムの中で、自分の言いたいことに忠実な言葉を選び、思いを込めて伝えられるようになりました。

ついこの間までは、勢いで言葉を言い放っていたのに。

 

いい声のコツ、軸をぶらさないで話す

デビューから1年経った25歳から、福井県の放送局で新商品の情報番組を担当し始めました。

2年ほど経った福井の番組収録の数日前、大阪での雪の中のロケで風邪をひいてしまいました。

風邪が治って福井の番組に取り組んだのですが、収録中に左耳の奥がパリパリと音を立て始め、キュンといったかと思うと、突然左耳が聞こえなくなりました。

そのうち治るだろうと思っていたのですが治らず、随分たってから病院に行くと耳管狭窄症と言われました。

耳は、今はようやく聞こえるようになったのですが、アナウンサーをやっていた10数年は、ほとんど聞こえていませんでした。

その頃のナレーションの録音は、両耳にセットするヘッドホンではなく、片耳にさすイヤホンのところがありました。

ヘッドホンだと自分の出した声が聞こえるのですが、片耳にイヤホンをさすと、さした耳からは外の音は全く聞こえません。

ディレクターの指示を聞くために右耳にイヤホンをさしてしまうと、左耳からは自分の話している声が聞こえず、ちゃんと発音できているのかわからないまま、録音しなくてはなりませんでした。

こうなると、勘とちょっとした感覚が頼りです。

テレビで原稿を読むとき以上に、滑舌肉専しながらも、姿勢を変えず一文字一文字丁寧に読むようになりました。

きちんと発音することにかなり集中できていたかもしれません。

一定していい発音をするためには、自分の軸がぶれないよう、ずっと同じ状態で読み続けることを心がける必要があります。

私にとっては、いい声で話すための大きな発見でした。

 

いい声のコツ、息がもれないこと

ナレーションの仕事を始めた頃、ディレクターさんにこんなことを言われました。

「おかしいなあ、池本さんの声は、針が振れない」。

録音スタジオにはいろいろな計器があります。

分度器状のタコメーターのようなメモリの計器は、針が声の大きさや質によって左から右に振れるんです。

私の声は話しているにもかかわらず、針が動かないのです。

なぜか?

その頃の私の声は、高めの裏声のような声で、息が多く、か細く質感がなかったから、機械が音として感知しなかったのです。

「息」が、クセモノだということが、この時はまだ全くわかっていませんでした。

 

録音スタジオで、音声をチェックする方によく言われるのが、「マイク吹かないでね」でした。

ナレーターが息でマイクを吹くと、マイクが息の音を拾うのです。

息でマイクを吹いてしまう回数が多いと、マイクに風防というカバーをつけたり、マイクの位置を変えたり、お手間を掛けてしまうのです。

だから、息が出ないように出ないように、気をつけながら読むのですが、どうしても息がもれてしまう・・・。

息がもれると、その息とともに言葉がさらさらと流れ出ていきます。

すると、もう自分で言葉をコントロールできなくなってしまうのです。

ところが、粘りをつけてゆっくり落ち着いて読めるようになったことで、息もれしなくなったのです。

粘りをつけてゆっくり話すと、下腹に勝手に力が入ります。

話す時、お腹を凹ましたりポコポコ動かしたりするのではなく、下腹の内側から外に向かって押すような、軽く踏ん張るような力がずっとキープされていることで、息がコントロールできるのです。

 

ゆっくり、そして軸がブレずに読むことができるようになったことで、息もれの他にもいろいろコントロールできることが増えました。

口から息がもれないので、口を大きく開けて確実に発音することができるようになりました。

ゆっくり読むことで余裕が生まれ、スピードや、音の高低も、どんどん意のままになってきました。

 

できない自分を乗り越える

ゆっくりブレずに話せるようになってから、私は自信が出てきました。

焦らないで、ちゃんと言葉が伝えられるようになったのです。

がんばるのみの勢い任せだった頃とは、見える景色が変わってきました。

ゆっくり話すリズムの自分でいれば、周りもゆっくり見渡せるのです。

すると、原稿の字もはっきり見え、慌てることがなくなったのです。

 

これは、式典などの落ち着いた司会が苦手だった私にとって、大いに役に立ちました。

大きな式典では、50人ぐらいのお客様の肩書きと名前を読み上げなければならないことがあります。

もちろん、台本には、事前にしっかりルビを振っています。

シーンとした会場内に、肩書きと名前を読み上げる私の声だけが響きます。

名前を呼ばれたお客様は、立ち上がってお辞儀をされ、お座りになります。

そして、また私は、次の方の肩書と名前を読み上げます。

以前の私は、読み間違えないようにと、ずっとドキドキしながら読んでいました。

でも、ゆっくり読むことが身についてきた私には、もう、間違える理由がないのです。

「ゆっくり一文字一文字読むだけなんだから、間違えるわけない!」こんな気分で、読めるようになりました。

これまで、読みづらいと思っていた苦手な言葉も、粘りをつけてゆっくり読めば、必ずちゃんと読めるということがわかってきました。

ゆっくり粘りをつけて読むと、「怖い、読めないかも」というネガティブな気持ちが心の中から消えていきます。

すると、ちゃんと音が出るのです。

ネガティブな感情がなくなると、冷静な判断ができるようになってきました。

できない自分を、乗り越えられたのです。

 

最大のいい声のコツ、意識は後ろ

さらに発見をしました。

ある日の司会で来客者の名簿を読み上げる時、私の「意識」は目の前になく、後頭部あたりにあることを発見したのです。

普段おしゃべりしている時は、意識は目の前なのですが、ここぞという時は、「意識」を後ろに置いていたのです。

私は、後ろに「意識」を置いてそこから名簿の字を見て、その字を発音して、その音を耳で聞いて間違えていないかを確認し、そして会場にどんなふうに声が広がっているかも確認して、次の方のお名前を読むタイミングを見計らっていたのです。

このような状態で、感情を一切動かさず、自分は直立不動で、名前を読み上げていたのです。

こうすると、心が乱れず、読み上げることだけに集中できたのです。

かといって、ロボットみたいではなく、音の高低で抑揚はしっかりつけることができます。

そして、何が起こっても柔軟に対応できるよう、周囲に意識が広がっているのです。

 

「なぜ私は、今、こんなふうに話せるのだろう・・・」。

誰よりも話すことが下手くそだった私が、なぜ今、話す仕事ができているのか・・・。

今まで考えたこともなかった「意識」について探り始めました。

すでにボイストレーナーとして発声の仕方を教えていた私は、私のこれまでの経験の中から「いい声のエッセンス」を見つけ出し、皆さんにお伝えするボイストレーニングのプログラムを作ろうと思ったのです。

 

意識を後ろに置くとうまく話せる

「意識」を後ろに置いて話す大きなメリットは、人が気にならなくなる、ということです。

これまで、イヤというほど人の評価ばかり気にしてきた私が、この意識に入ると、「私はやることをやります」という気持ちになるのです。

「意識」を後ろに置くと、人が今、私のことをどう見ている?私はこれでいいの?という感情は、もう出てきません。

名前を読むという司会者の役割に徹することができるのです。

 

人は役割を貰うと、今までの自分とは違った人物に移行することができます。

その役割を無私の気持ちで達成しようとする時、いつもの自分ではできそうもないことが、できてしまったりします。

迷いがなくなるということでしょうか。

誰もがみんな持っている、この「できちゃうパワー」、ここに普遍の何かがあるのです。

自分の中で何が起こっているのか引き続き探ってみましたが、結局「意識を後ろに置くだけ」ということに行き着きました。

ではどうやったらカンタンに、「意識」を後ろに置けるのかを考え始めました。

そこで、ひらめいたのが「うちわ」です。

「うちわ」を背中にさします。

後頭部に「うちわ」が当たります。

後ろというとらえどころのない場所を、実際に体感していただくのです。

その当たっている感覚をよく感じながら話すことで、「意識」が前から後ろに移動し、キープされるのです。

 

いい声になるアイテム、うちわ

うちわを使って話すと3ついいことがありました。

 

1つ目、姿勢が良くなり、勝手に下腹に力がはいる。

「うちわ」を背中にさして、後ろに「意識」が移動すると、まず姿勢が良くなります。

そして、うちわを後頭部で感じながら話をすると、なんと勝手に下腹に力が入るのです。

これは、すごい発見です。

下腹に力が入ることで息をコントロールでき、息を使わないお腹からの発声ができるのです。

 

2つ目、感情的でなくなる。

「うちわ」を後頭部で感じていると、もうそれで精一杯なので、話をする時「できるかな」とか「間違わないように」なんていう、ネガティブな感情が入り込まなくなります。

「ただやるのみ」になるのです。

だから間違えない。

ぼそぼそ話すことがなくなり、声に勢いがつきます。

 

3つ目、言った後に尾を引かない。

これも我ながら、かなり驚きました。

例えば、自分の話したいことが、相手に何かをして欲しいというお願いだったとします。

今までなら、伝えた後、「ちゃんとやってくれるかなあ」と、その後の相手の行動が気になり、やきもきすることもあるのですが、「意識」が「うちわ」つまり、後ろにあると、「私は伝えました、終わり」になるのです。

何人かに試していただいたのですが、皆さん、「不思議~、相手がその後どうしようと気にならない気分」と、おっしゃいました。

 

「うちわ」、いいアイテムを発見しました。

「うちわ」を使うことで、後ろに意識を持つことはできましたが、始終「うちわ」をさしているわけにもいかないので、もうひと工夫必要です。

一気にポンといい声になっちゃうアイテムは?とまた、探し始めました。

そして、いいものを見つけたのです。

 

今も新しいアイデア発見の日々

私は、その後も「誰でもカンタンにすぐできる」ボイストレーニングのアイテムを考え続けました。

そのアイテムの数々を、詳しくテキストとビデオでご紹介してまいります。

 

私は、カンタンにいい声に!を目指して、2006年頃にこのボイストレーニングを「スピリットボイス」と命名し内容を作り始めました。

その後、2013年3月に「俯瞰」という言葉が降ってきて、「意識」次第で、声が良くなるばかりではなく、生き方まで自由に広がっていくことがわかってきました。

スピリットボイスは、声をツールにした自己実現プログラムになったのです。

 

スピリットボイスのプログラム「テキスト&ビデオ講座」

2013年5月からYouTubeで「スピリットボイス」の内容を少しずつアップし始めると、日本国中から(外国からも)、大阪にトレーニングにお越しくださるようになりました。

2016年2月から、東京でもトレーニングを受けていただけるようになったのですが、遠方の方はなかなかお越しいただくことが難しいです。

そこで、トレーニングが気になっているのだが、通えない・・・と思っていらっしゃる方のために、スピリットボイス・トレーニングの内容を文章とビデオにした「スピリットボイス テキスト&ビデオ講座 〜意識と声であなたの印象は進化する〜」を、2018年7月からご提供することに致しました。

あなたの毎日の生活のお役に立てれば嬉しいです。

 

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